人から気を使って頂けることは嬉しいことですが、気を使いすぎる人にはかえって面倒くさいと感じてしまうこともあります。気を使いすぎる人の特徴と接し方はどのようにすればよいのかを今回は考えてみましょう。
気を使いすぎる人はめんどくさい!どんな特徴なの?
気を使うということは悪いことではないのですが、気を使われすぎるとかえって恐縮してしまうことにもなり、時として「めんどくさい」と言える状況にもなります。
気を使いすぎる人の特徴とはどういうものなのでしょうか。気を使いすぎる人の特徴や人となりについて考えてみましょう。
たとえば、こんなケースです。
さり気なくやっていただいたにも関わらず、少し気を使い過ぎではないかと感じる場合です。
これは気を使いすぎる人の特徴のひとつと言えるでしょう。後でやろうと思っていた事などを、相手は気を利かしたつもりで先回りしてやったことでも、自分としては今じゃないのにと思う場面もあり、少しめんどくさいと感じることもあると思います。
そういう人の特徴は、決して悪気がないということです。悪気がないどころか良いことをしたと満足していることも多いでしょう。
勿論、邪魔をしようとしているわけではないのですが、結果的にはある意味こちらの段取りを崩してしまう結果になることも無い訳ではありません。
気を使いすぎる人の特徴ですが、決して悪気がないということです。
気を使える人
その場の雰囲気や、流れを読み、細かいところに注意が出来る人を「気を使える人」と呼びます。言い換えるなら、他人が見逃しがちなところに気付き、おのずから対応できる人を、そう呼びます。
それは、他人の職務であろうと、忙しそうであればさりげなくサポート出来たり、休憩中になにか飲んでいる時、その人のドリンクが無くなりそうになった時、「次は何を飲む」などと問いかける事ができる人などは気が利く人と言えます。
いわば、気が利く人とは自分のことだけでなく、常日頃から周りにも意識を向けていられる人を指すと言えるでしょう。相手が必要な時に自然と手を貸してあげられる人を、「気を使える人」と呼びます。
気を使える人は、この世知辛い世の中では、ある意味において貴重な存在です。自分の事は全て自分でこなし、他人のことには無関心な人が増えたこの時代には、やはり気を使える人は必要です。
気を使える人がいるのといないのでは、その場の流れも、雰囲気も違ってきます。やはり他人を思いやるということは、どのような場面でも、ないよりもあった方が物事はスムーズに流れていくものです。
気を使いすぎる人とは
しかし、「気を使いすぎる人」という方もいます。気を使いすぎるということは、一つ間違えれば、おせっかいと呼ばれてしまうことがあるので、注意が必要です。
せっかく、気を利かせて行ったことも、おせっかいと取られてしまうことは悲しいです。勿論何事もやり過ぎは良い結果を残しません。
「気を使う」ということも程々という事ではないでしょうか。度を越せばおせっかい、程々なら気が利く、このさじ加減は難しいと言えます。とかく気を使いすぎる人とは、この線引がうまく行かないという人を指すと言えそうです。
気を利かせて行ったことがかえって人には、迷惑なこともあるということは留意しておいたほうが良いことは間違いなさそうです。
しかし「気を使いすぎる人」は、この線引きが出来ないのです。自分では良かれと思ってやっていることですから、まさかそれが迷惑であるとは考えもつかないのが、気を使いすぎる人の特徴です。
ただ、それは性格の問題でもあり、決して悪気から気を遣うということはありえません。その事を理解してあげることも、人として必要なことではないでしょうか?
気を使いすぎる人との接し方は?
気を使いすぎる人との接し方は、まず相手をよく理解することから始めましょう。それが嫌味やおせっかいではなく、気を使っていただいていると理解できれば、受ける側としても幾分、気分が楽です。
世の中には、要らぬおせっかいもありますが、気を使って頂けているなら、それは相手が少なくともこちら側に敵意を持っていることはありません。
好意を持って頂けている事は、何につけても嬉しいことですので、そういった意味で気をつけて頂けることには、感謝の気持を持つことが円滑な人間関係につながります。大事にしたいことではないでしょうか。
気を使いすぎる人との距離感
人と人との距離感は大事です。あまり近すぎますと、馴れ合いな関係になりがちですし、距離を開けすぎると何事にも支障をきたしてしまいます。
適度な距離を保つことを心がけることが、社会での人間関係をうまく活かす方法です。近すぎず離れすぎずというバランス感覚がここでは必要なことではないのでしょうか。
馴れ合っても、離れすぎても業務ということを主眼に置けば、何かしらの支障は生まれてしまいます。必要なことはこれらのことを意識した距離感を意識しておくことではないかと思います。
これらのことは、何も会社での業務に限ったことではありません。学生なら学業や家庭内でも大事なことです。
「親しき中にも礼儀あり」という言葉の通り、人間関係全てに当てはまることではないでしょうか。それが例えば親子の間でもある意味必要です。
親子だから何をいっても、逆に言葉にしなくとも、物事がうまく運ぶとは限りません。気を使いすぎる必要はありませんが、最低限の気遣いはある方がお互いに物事は進みます。
気を使いすぎないより、気は使ったほうがよいけどめんどくさい
気を使わないより、使った方が良いと思いますが、正直いつもいつも気を使いすぎるのは正直しんどいですし、使われる方も、ある意味過ぎればめんどくさいといったことにもなります。
何事にもその場その場で、適切な気の使い方ができればそれに越したことはありません。その為にもその場の空気を読むということが大事です。今は気を使うところでは無い、今は気を使うところといった様に、その場で判断できるようになりたいものです。
気を使いすぎて疲れる場合の対処法
気を使いすぎて疲れるということは、無理をしているということに他なりません。無理をしてまで気を使っていては、卑屈と思われる場合もあります。
無理をしてまで気を使う必要は、それほど多くあるとは思いません。気を使いすぎて疲れるのなら、意識して気を使わないことです。
卑屈と気を遣うは、表裏一体の関係にあるのかも知れません。良かれと思って行っていることが裏目に出るのはよく聞く話です。
それならば、いっそのこと疲れる場で気を使うのを辞めるのも勇気が必要ですが、そこは潔く気を使わず堂々と自分自身を前面に出すことも必要です。
人に気を使う前に、自身にも気を使う必要があると思います。気を使いすぎる人の特徴でもある人の良さを、少し自分のために使うことを考えれば、疲れることもより少なくなるものかも知れません。
気を使いすぎて疲れる場合に一番効果のある対処法は、気を使わないということです。しかしこればかりは性格によるところが大きいので、意識して気を使わないと言うことはなかなか難しいことだと感じますが、慣れることも必要です。意識してみましょう。
まとめ
気を使われすぎるのはめんどくさい、たしかにその通りではないかと思います。しかしさきにも述べた通り、決してそれは悪意からではなく、根本は善意であることを知っておくことも重要です。
気を使いすぎる人はめんどくさいの一言で片付けず、まず感謝の気持ちを持つことから始めれば、少しは見る目も変わってくるものと期待したいと思います。
気を使いすぎる人の根本は、決してめんどくさい人では無いということをどうか忘れないようにしたいものです。基本気を使うということは善意から始まることであるということを記してこの文をしめたいと思います。
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